ちょっと寄り道万葉集 3
平成18年11月2日(木) 白川静氏 亡くなる


中国古典文学の巨星、白川静氏が10月30日お亡くなりになられた。「字統」「字訓」「字通」の字書3部作で知られる氏の作品に出会ったのは、創価大學時代である。「初期万葉論」での、中国との比較文学の視点による万葉集へのアプローチは、斬新なものであった。わたしはすっかりその虜になってしまった。一言で言って、「万葉集が解る」。感覚、感傷に捕らわれた解説など木っ端微塵にする理論である。氏の万葉集での世間の評価は知らない。しかし私が30年たったいまなお万葉集に興味を持ち研鑽が継続出来るのは、白川氏の「初期万葉論」に出会ったことによる。「最高の一書」をありがとうございました。こころよりご冥福をお祈り申し上げます。

巻3の264の歌について 2
続いて、巻3の264の歌について、この歌の真意を見ていきたい。
 

もののふの 八十氏河(やそうじがわ)の網代木に いさよう波の 行く方知らずも

これは、柿本人麻呂が近江廃都を訪れた帰りに詠んだ歌である。往く途中ではなく、帰りである。なぜ宇治川のこの地で詠んだのか?
 
風景が良かったからか。そうではないだろう。景観が良いからと考えるのは、現代人の感覚である。
自然だらけの景観の中で、果たして自然を詠むだろうか。むしろ人工のもの、または人に関することを、自然の景観のなかで詠むのではなかろうか。

この歌の主題は、自然では無く、人に関する事である。だからこそ、近江廃都の帰りのこの宇治に地で詠む必然性があったのである。

万葉集の魅力は、ひとえに柿本人麻呂にある。人麻呂の歌の真実が解明されれば、万葉集が解明される。
今後、折りにふれ、私見を述べていきたい。

巻3,264
もののふの 八十氏川(やそうじがわ)の網木(あじろぎ)に いざよう波の 行くえ知らずも


巻3,264に出てくる宇治川を詠った歌である。

網木というのは魚を取る網を引っ掛けるために設置した小さな木の柵である。

宇治川は、源平合戦の先陣争いで有名ではあるが更にさかのぼる事510年国家を二分する大王家の争い”壬申の乱”の舞台となる。

天智の子息・大友皇子と弟と言われている大海人皇子(天武)の政権争いは白村江の出兵に失敗した日本が大陸との緊張関係の中親百済派と親新羅派に分かれ今後の日本国の運営方向をかけ激突した争いであり大海人皇子の勝利に終る。

時は移り近江の荒れた都から宇治の旧都を通る柿本人麻呂によって詠まれた。

戦によって亡くなった者に対する鎮魂の歌であろうか 。

人生の行く末のはかなさを、網木にかかる波間に読み取ったのであろう 。

強者(もののふ)という時の権力者、強き者の人生も時代という大河の流れにおいては、まったく波間のように網木にかかることもできないのである。






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